「不安」とはなにか。いつも「不安」になっている人の心理について
身の回りの人、もしくはこの記事を読んでいる人自身がそうかもしれませんが、いつも不安感に悩まされているタイプがいると思います。
大学受験でいうと、例えば不安でいつまでたっても志望大学を決められないとか、不安でどの勉強法で勉強すればいいのかわからないとかです。
しかも、こういったタイプの人に解決策やアドバイスをしてもなかなか実行してくれません。
「こういう人は具体的な解決方法が知りたいのではなく、共感してほしいのだ」なんてことも言われていますが、共感をしたところで志望大学は決まりませんし、勉強法が定まるわけではありません。
塾に勤めている人間であれば、共感するだけなんていうのはただの無責任です。
*とにかく話を前に進めるために共感することはあります。
本記事では「不安」の正体と具体的な行動をおこせない理由についてまとめています。
「不安」の正体は「解決策がわからないこと」
世の中のあらゆる「不安」は「解決策がわからないこと」が原因となっています。
悩みがあっても、それを解決するために最初に何をすべきなのかがわからないので、不安になってしまうということです。
簡単にいってしまえば、最初の一歩を踏みだすことができる、もしくは最初の一歩が何かがわかっていれば不安になることはありません。
ではなぜ解決策がわかっているのに「不安」な人がいるのか
しかし、冒頭でも述べたとおり、解決策がわかっているのにもかかわらず「不安」に悩まされている人がいます。
この理由は解決策を受け入れて一歩踏みだしたら、その瞬間から自分の責任になるからです。
いつも不安に悩まされている人は不安に悩まされることよりも、とった行動が自分の責任になるということに対して非常に恐怖感を抱いています。
「志望大学をなかなか決められない」という悩みをずっと持っていれば、周りの人がいろいろなアドバイスをくれますし、もっというと勉強に身が入らない言い訳にもできます。
「勉強法がわからない」という悩みをずっと持っていれば、これもまた周りの人がいろいろなアドバイスをくれますし、勉強が進まない言い訳にも使えます。
そこで例えば、志望大学を決めるためにオープンキャンパスにいったり自分で情報収集をし始めたり、アドバイスされた勉強法を試したりし始めたら、もうそこからは自分の責任になります。
主体的に動いて何かを決定するということが猛烈なストレスになるので、ずっと不安でいるほうを選んでしまうのです。矛盾しているようですが「不安」でいるほうが「安心」だということです。
人生は選択の連続なので主体的に決定しないと耐えられなくなる
当然、大学受験以降もあらゆる選択にせまられます。
自己責任で主体的に何かを決定することは一見すると大変なことに感じますが、実は主体的に物事を決定する人のほうが圧倒的に自由だったりします。
ようするに主体的に物事を決める能力がある人は「不安」がない、もしくは少ないのでストレスも特に大きなものはありません。
一方、自分で責任を受け入れず、いつも「不安」がある人は、誰かのいうことや組織のルール・しきたりに従順になってしまって抜け出せなくなったり、不安感ゆえに感情のコントロールも難しくなり周りから厄介者だと思われる可能性もあります。
当然、勉強も仕事も身が入らなくなり、責任は自分の中に見出さずに他人に見出すようになります。
たくさん言い訳をしたり、あいつのせいで自分はこんな目にあっている、社会のせいで、政治のせいで自分の環境が悪いのだなどと思い始めます。
中学生や高校生のうちから、あらゆることを自分の責任で行う癖をつけましょう。
自分の責任で行うということ=誰にも頼らないということではありません、主体的に決定するために周りの人に相談をするなどはまったく問題ありません。
時間はまってくれないので、決めるか決めないかでいつまでも悩んでいる場合ではありません。