小説文で「人によって感情の受け取り方が違うから答えが一つになるわけない!」というけど、それは嘘です

現代文の問題として小説文がよく出題されますよね。

そして当然、小説文にはさまざまな登場人物いて、さまざまな感情が入り乱れています。

なのでよく「小説なんて受け取り方は千差万別なのだから、答えを一つに決めるのはバカバカしいし不可能だ」と主張する人がいます。

たしかに小説を読んで一つの受け取り方にまとまっていくことは基本的にありえないです。千差万別です。

ですが、受け取り方が明らかにさまざまなのに問題として出題すると思いますか?

実は小説全体としては受け取り方は多種多様でも問題としては一つの答えになるように作られているのです。

小説問題の答えは論理的に導くことができる

小説問題の答えは筋道をたてて論理的に答えを導くことができます。

例として下の画像をみてください。センター試験(国語・平成29年度本試験)の問題を抜粋しています。

野上弥生子さんの『秋の一日』という小説からの出題です。
『野上彌生子全集』という23巻ある全集の第1巻の小説1に収載されています。

問題は「誠に物珍しい楽しい事が急に湧いたような気がして」とあるが、それはどういうことか。

まずは①からみてみましょう。傍線部が間違えているところです。
「絵の鑑賞を夫から勧められてにわかに興味を覚え」と書いてありますが、夫は絵の展覧会について話をしただけで、勧めていません。

ここで「もしかしたら勧めているかもしれないじゃないですか!」という人がいますが、この件については後ほど説明します。国語が得意な人にとっては信じられないかもしれませんが、こういう人は実際にいるのです。

次に②をみてみましょう。傍線部が間違えているところです。
「長い間患っていた病気が治り」と書いてありますが、本文には「如何したせいか」と書いています。つまり、「なんかよくわからないけど体調がいい」ということです。

病気が全快しているのであれば、「如何したせいか」という書き方はしませんよね。
明確に病気が全快している様子を書くはずです。

ここで「もしかしたら治っているかもしれないじゃないですか!」という人がいます。同じく後述します。

次に③をみてみましょう。傍線部が間違えているところです。

たしかに夫の話をきいて展覧会にいこうとしている描写はあります。
しかし、あらためて問題の傍線部Aをみてみましょう。

「楽しいこと」としているのは展覧会にいくことだけでしょうか?
傍線部Aの前のセリフをみてみましょう。上野にいくことが描いてありますよね。

展覧会にいき、そのあと上野にいって籠をもってぶらぶらするのが「楽しいこと」なのです。したがって③の内容は不足しているので間違えになります。

正解の④を飛ばして⑤をみてみましょう。傍線部が間違えているところです。

「子どもが退屈する、子どもも喜ぶ」という言葉が書かれていますが、そんなこと本文にいっさい書かれていないですよね。⑤は一番最初に消える選択肢です。

ここでも「もしかしたら子どもが退屈に思っているかもしれない、喜んでいるかもしれないじゃないですか!」という人がいます。後述します。

正解は④で、この選択肢は完全に小説の内容とピッタリ合います。

小説問題が苦手な人は書いていないことまで想像してしまう

上に書いたように「もしかしたら~」というパターンで反論してくる人がいます。

まず、大前提として評論問題でも同じことがいえますが、書いてないことを読み取ってはいけません

国語の問題を解くうえで「もしかしたら~」なんて考える必要はないんですよ。
「もしかしたら~」が無限にわいてくるから、答えがたくさんあるように見えるのです。

今回、例としてあげた文章をみれば「もしかしたら~」を考えたらすべて正解にみえてしまうことはわかっていただけたかと思います。

ただ、反論が好きな人はここで終わりません。
「いや、現実の人間社会でも人の考えていることなんてわからないじゃないか!」といいます。

これは小説ですよ。つまり「人が書いた作品、人工物」なわけです。
書いてあること以上のことは基本的に起きていません。

今回の文章でいうと、勧めている描写がなければ勧めていない、治っている描写がなければ治っていない、子どもが退屈に思ったり、喜んでいる描写がなければ退屈に思ってないし、喜んでもいないと判断して答えを選べばいいのです。

小説の中には書いていないことまで想像させる作品もありますが、そのような作品は問題にならないし、仮に小説全体としてミステリアスな雰囲気があっても出題するのは明確に答えがわかるものです。

したがって「実際の人間社会での様子」まで勝手に想像力をふくらませる必要はありません。

まとめ

小説問題を解くときには、書いてあることだけを追って論理的に答えを出そう

「もしかしたら~」「現実社会では~」など、どうでもいいことを考える必要はありません。